2015年1月7日水曜日

自己紹介 - 私の音の系譜

自己紹介を兼ねて自身の音の系譜を紹介します。
(音の系譜というよりはオーディオ趣味の系譜ですが)

最初の音との出会いは幼稚園児の頃。
SONY TC-222 オープンリールのテープレコーダです。


https://www.youtube.com/watch?v=N6SGw_7ilsI





貧乏な家庭でしたので突然父親がこんなものを買ってきて母親はさぞ困惑したと想像できます。
この製品には1Wのスピーカーが搭載されており、マイクが付属品として付いていました。
宣伝用の音源テープも一本付いていました。
私はその宣伝用のテープから出る音の良さに子供ながらに驚いたものです。
現在でも一部ながらその内容を脳内再現出来ます。
親父は自分の歌や兄弟や子供の声をひたすら録音しました。
親父のいないときは私の高級なおもちゃでした。録音された自分の声を聞くのが面白かったのだと思います。
ほどなくして、父親は癌で亡くなります。まるで自分の寿命を悟っていたかのように声だけ残してこの世を去りました。

父親を亡くした年に「お父さんの代わりに」とガットギターをプレゼントされました。
(メーカー不明です)
親友の父親がギター工場に勤めていたのです。まだ9歳だった私は手が小さくてネックを押さえられず琴のように弾いていた記憶があります。夜は布団と一緒に抱いて寝ていました。
学校の担任がギター愛好家で、音楽の先生と一緒に練習したりしたのを覚えています。

世はフォーク全盛時代、中学へ上がるとすぐにレコードに興味を持ち始めます。
母親が相当無理をしてくれたのでしょう。立派なステレオ機器を買ってくれました。

レコードプレーヤー Technics SL-220
プリメインアンプ   Technics SU-2500
カセットデッキ    Technics RS-M20
スピーカー      Technics SB-240MP/A/MR
テクニクスの純正ラック

今調べると当時としてはローコストの部類のようですが、家計からしたらとんでもない買い物だったはずです。私は好きだったアーティストのレコードを少ないこづかいで買い聴きまくりました。
アルバムを片面聴き終わる頃には手汗がびっしょりで、意識モーローとしていたこたが何度かありました。夜寝る時はアルバムがまるごと頭の中で鳴り響いていました。

高校へ進学すると、私の興味は一気にパソコンへ傾倒していきます。
一方で、音楽を聞くことも続けてはいましたが、そんなにレコードも購入出来きませんでした。
高校への通学は長距離だったため、聴いたレコードの脳内再生を意識的に始めました。
これが唯一の通学時の楽しみになっていました。今日はこのアルバムを楽しもうと決め、頭の中のターンテーブルを回転させ針を落とします。
ギターはガットからスチールに変わっていました。これも親友のギター工場から格安で手に入れました。(TF Morris W-60)

最初のCDとの出会いはなんと DIATONE DP-101 実物の写真はこちら

DIATONEのCDプレーヤ1号機です。このCDプレーヤーはマイコンを2系列積んだ化け物で、基板が7枚、基板ラックでマザーボードに繋がるという恐ろしい代物でした。
そのうちに基板の接触不良があちこちで起きて起動のたびに中をあけてさし直さないと動かなくなりました。やがてCDトレイに不具合が起き、どうにもならなくなってお蔵入りとなりました。

※今も家で眠っていますのでそのうち中身などブログで紹介できれば懐かしいユーザーさんが読んでくれるのかな~とか思っています。

このCDプレーヤは当然テクニクスのプリメインアンプに繋げて聴いていたわけですが、音が格別素晴らしかったわけではありません。何故かレコードの音には勝てなかったのです。
当時はCDはこの程度のものなのかと思っていました。(実はその通りだった訳です)

CDのマスタリングも各社でばらつきがあり、再生品質の良いディスクを探すのに苦労していました。そんなこともありしばらくはCDを聴かない時期が続きました。
ところが、そうもいっていられまいという時期がついに来てしまいます。

YAMAHA TIFFANY AST−C20 (良い写真がネットでは入手出来ず!)

を大枚はたいて購入しました。A-YST(アドバンスド・ヤマハ・アクティブサーボ・テクノロジー)
を導入した初期の頃のオールインワンコンポです。
確かに良い音を出していたと思いますが、やはりテクニクスの装置でレコードを聴くのには勝てずじっくりと聴いた記憶が全くありません。
このコンポはただひたすらCDからカーオーディオ用のカセットテープへのコピー機に成り下がりました。やがてピックアップのサーボエラーが多発し始め、CDの機能を失いました。

ちょうどこの頃でしょうか。カラオケ施設、カラオケスナックがど田舎でも乱立してきます。
カラオケには全く興味がなかった私が始めて歌ったときの周りの反応が異常でした。
なにを興奮しているのかさっぱりわからず、そこから歌唱について考えるきっかけが出来ました。

パソコンはDOS/V(PC-AT互換機)になり、パソコンのCD-ROMでCDが再生可能になります。
最初にパソコンでCDを聴いたときにびっくりした記憶があります。ひょっとしてレコードより勝っているのでは?と思い始めました。

ここで思わぬ暴挙に出てしまいます。オーディオマニアが見たらショック死すると思います。

AVアンプ YAMAHA DSP-AX430 + 5.1chスピーカー

をパソコンのSPDIF(マザーボード直付けのもの)端子と繋げたのです。
期待わくわくで音を出しました。だってDTS音源、5.1ch対応が当時のパソコンとソフトで実現していたんですから。
結果、がっがりなんてものではありませんでした。聴けたものではありません。
元々そんなことを想定してAVアンプを設計するわけがないと今になっては思うわけですが当時はパソコンから出る音は高音質だと信じて疑っていなかったのです。
ですがCDプレーヤーも持っていなかった私は最後までそのAVアンプの性能を引き出すことは出来ませんでした。
PCとの接続をあきらめた後、

ONKYO GX-D90

を購入しました。これにはSPDIFの光と同軸が両方とも内臓されていました。
こちらはSPDIF出力で聴くと、結構良い音がしました。
同じONKYOのPCIサウンドカード(?型番はもう忘れました)と繋ぐとさらに良い音になりました。
しばらくはこの構成で音楽鑑賞も十分だと思っていました。

やがてテクニクスのプリメインアンプがMOS-FETの3回目の故障を迎えて修理不能になり廃棄。
ですが、もうホーム向けのオーディオ機器を購入することは考えませんでした。
会社の上司にオーディオマニアが数名おり、50万円のスピーカーケーブルを購入したとか数100万円のアンプが欲しいとか聞かされてとんでもない事になるのを恐れたのも原因です。

そして世の中とは少し遅れてついにUSB-DACを導入します。

EDIROL UA-25EX

録音可能なオーディオインターフェイスです。当時はそんなに知識もなくUSB-DACであったのは買った後に認識したというおそまつぶり。

これが当たりました。GX-D90で聴くのにはもったいないと思い、

パワードスピーカー YAMAHA HS50M

を購入。昔のテクニクスを思い出し泣けてくるような音質です。
そしてこれが後のPCオーディオと騒がれるシステムだったことに最近まで気が付きませんでした。

音を「聴」くという姿勢は現在でも変わりません。今でも気が付くと手に汗を握っていることがあります。


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