2014年12月30日火曜日

太古の自然音に身を蕩う。












雨が降っている。

窓を開ける。

風の音が掠める。

木々のざわめき。雨音が心地よい。


悠久の時を遡る。

太古の自然に身を蕩(たゆた)う。

川のせせらぎ、鳥達の唄声、虫が鳴いている。

遠くの雷鳴。嵐が近い。

川のせせらぎが轟音に変わる。

木々のざわめきが警告を発する。

天候の脅威を察知したものは生き、遅れたものは死ぬ。

わずかな草原の足音、葉の擦れる音、そして突然の咆哮。

肉食動物を早く察知したものは生き、遅れたものは死ぬ。

単語にならない古代人の声。安全、危険、求愛のみを知らせる。

聞き分けるものが生き、分からないものは死ぬ。

言葉が生まれる。水、食料、異性、場所、方向が言葉になる。

聞き分けるものが生き、分からないものは死ぬ。

言葉を子孫に伝える。

伝えられた種族は存続し、伝えられなかった種族は滅びる。

人間の聴覚は自然淘汰によって開発され現在に至る。

そこには音感はない。

ビットレートもサンプル周波数もない。

音楽は人工の産物。

木を叩き、草笛を吹き、狩猟の弓を弾き、楽器を作った。

声を用いて歌唱という技術を発展させた。

楽譜が発明され、音楽の再現が可能となる。

音楽による「利潤」が生まれた。

蓄音機が発明され音楽の機械による再現が可能となる。

録音と再生。

最初は同じ技術だった。

「録音」側は新しい音楽、媒体を開発し、純粋に音楽を売った。

「再生」側は最初は音楽を売りたいという本心で再生機械を作った。

どこからか、再生機械を売るという「利潤」に走った。

「再生」側は既に音楽を売らず、機械を売った。

それぞれが違う「利潤」を追い求た結果、現在に至る。

再生機械は買うが、本当に音楽を買っているのか。

人は迷う。

あらためて、太古の自然に身を投じよう。

音楽を楽しめる聴覚を進化させた古代人に感謝しよう。

そして機械の人工音を聞いている自分の耳に問いかけよう。

自然の音を懐かしんでいるであろう自分の耳に。

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