雨が降っている。
窓を開ける。
風の音が掠める。
木々のざわめき。雨音が心地よい。
悠久の時を遡る。
太古の自然に身を蕩(たゆた)う。
川のせせらぎ、鳥達の唄声、虫が鳴いている。
遠くの雷鳴。嵐が近い。
川のせせらぎが轟音に変わる。
木々のざわめきが警告を発する。
天候の脅威を察知したものは生き、遅れたものは死ぬ。
わずかな草原の足音、葉の擦れる音、そして突然の咆哮。
肉食動物を早く察知したものは生き、遅れたものは死ぬ。
単語にならない古代人の声。安全、危険、求愛のみを知らせる。
聞き分けるものが生き、分からないものは死ぬ。
言葉が生まれる。水、食料、異性、場所、方向が言葉になる。
聞き分けるものが生き、分からないものは死ぬ。
言葉を子孫に伝える。
伝えられた種族は存続し、伝えられなかった種族は滅びる。
人間の聴覚は自然淘汰によって開発され現在に至る。
そこには音感はない。
ビットレートもサンプル周波数もない。
音楽は人工の産物。
木を叩き、草笛を吹き、狩猟の弓を弾き、楽器を作った。
声を用いて歌唱という技術を発展させた。
楽譜が発明され、音楽の再現が可能となる。
音楽による「利潤」が生まれた。
蓄音機が発明され音楽の機械による再現が可能となる。
録音と再生。
最初は同じ技術だった。
「録音」側は新しい音楽、媒体を開発し、純粋に音楽を売った。
「再生」側は最初は音楽を売りたいという本心で再生機械を作った。
どこからか、再生機械を売るという「利潤」に走った。
「再生」側は既に音楽を売らず、機械を売った。
それぞれが違う「利潤」を追い求た結果、現在に至る。
再生機械は買うが、本当に音楽を買っているのか。
人は迷う。
あらためて、太古の自然に身を投じよう。
音楽を楽しめる聴覚を進化させた古代人に感謝しよう。
そして機械の人工音を聞いている自分の耳に問いかけよう。
自然の音を懐かしんでいるであろう自分の耳に。
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